地名の由来

都道府県 成立 地名由来(説含む) 命名根拠
北海道 1947.05.03
(1886.01.26)
1869年、地域名を決める際、松浦武四郎が道名に関する意見書を出した6つの候補のうちのひとつ「北加伊道」が元。1886年に北海道庁を設置。 広域地方名
青森県 1871.11.05 1624年弘前藩が港町の建設を始めた際に現青森市辺りに名付けられた地名。当時、港に入る船の目印になっていた本町付近の青い森が由来。 庁舎所在地
岩手県 1872.02.16 盛岡市の東顕寺にある3つの大石(三ツ石様)の神が、この地で悪さをした鬼を懲らしめた際、悪さをしない印として石に手形を押させたという言い伝え。 庁舎所在郡
宮城県 1872.02.16 志波彦神社・鹽竈神社などの宮、多賀城などの城があることが由来。 庁舎所在郡
秋田県 1871.08.29 7世紀住んでいた蝦夷が読んでいた齶田(あぎた)という地名が由来。 庁舎所在郡・地
山形県 1870.10.17 和名類聚抄(平安期)に山形市の南側を「山方郷」という記述あり。 庁舎所在地
福島県 1871.12.25
(1869.09.23)
1593年頃に木村吉清が伊達盆地にあった杉目城を縁起のいいものにするため福島城と改名したことがはじまり。1871年に設置されたが、それ以前12日間二本松県だった時期の前にも2年ほど福島県が存在した。 庁舎所在地
茨城県 1871.12.25 奈良時代の「常陸国風土記」にある朝廷に従わない豪族を茨で城を築いて退治したという逸話から。 庁舎所在郡
栃木県 1871.12.25 栃木町内にある神明宮の屋根にある2本の千木と8本の鰹木を遠くから見ると10本の千木に見えたため、この周辺を「十千木」と呼んだ説、トチノキが多く生えていたという説、市内を流れる巴波川が度々氾濫を起こしたことから、崩壊地を表す「チギる」に接頭語「ト」がついたという説など複数。 庁舎所在地
群馬県 1871.12.10 藤原京時代(694-710)に車評(くるまのこおり・後に車郡)という地域があり、713年に郡名を群馬(くるま)郡と改めたことから。 庁舎所在郡
埼玉県 1871.12.25 人の身を守って幸福を与えてくれる神の働き「幸魂(さきたま)」という説、水・淵・水田可耕地としてのタマ(湿地)の前方の地の意味・多摩郡の先の意味という説もある。 庁舎所在郡
千葉県 1873.06.15 クズの葉が繁茂する土地という意味からという説、千葉氏の出自した羽衣伝説などあるが定説なし。万葉集に知波として登場している。 庁舎所在郡・地
東京都 1943.07.01
(1868.09.03)
1868年9月3日に発した詔勅により府として成立。西の京(京都)と同格の東の京の意味。1943年に都に移行。 詔勅
神奈川県 1868.11.05
(1868.05.12)
1266年の文書に「武蔵国稲目、神奈河両郷」という記述あり。武蔵国久良岐郡内(現横浜市神奈川区)地域を指した地名。1868年5月12日に横浜裁判所から神奈川裁判所、8月に神奈川府、11月に神奈川県へと変遷。 庁舎所在地
新潟県 1870.04.07 1568年上杉謙信の書状の中で初出。信濃川・阿賀野川の河口の新しい潟(沼地)が形成されたことに因んだ地名。 庁舎所在地
富山県 1883.05.09 1398年の文書に「外山郷」として初出。外を佳名の富に改めた富山寺の土地に城郭が建設されたため、富山と名付けられた地名。 庁舎所在地
石川県 1872.03.10 県名の由来となった石川郡(弘仁14(823)年6月4日建郡)の由来は、郡域の主要部が手取川の氾濫原をなし、石の河原が広がっていることに因んでいる。 庁舎所在郡
福井県 1881.02.07 北庄と呼ばれていた地名を1624年に「福の神が居住する地・幸福に暮らせる地」を念じたと思われる福居に改名(1701年福井に改称)した福井市が由来。 庁舎所在地
山梨県 1871.12.31 初出は和銅7(714)年10月の墨書銘にある郡名。山ナシの木が多かった、山を均して平地にした「山ならし」、国司の役所が平地にあったなど諸説あり。 庁舎所在郡
長野県 1871.08.08 長い原であった善光寺門前付近を長野村としていた通称名が由来。 庁舎所在地
岐阜県 1872.01.02 1567年稲葉山城下付近を井口から改名。「周の文王、岐山より起り、天下を定む」をもとに、織田信長が政秀寺の沢彦宗恩が進言した3つの名から選択。 庁舎所在地
静岡県 1871.08.29 1869年、府中の名が他にもあり紛らわしいことから明治政府が改名を要求。「静・静城・静岡」の3つを政府に報告し、静岡が採用。シズは賤機山に由来。 庁舎所在地
愛知県 1872.05.08 万葉集に登場する「年魚市潟(あゆちがた)」という干潟のあゆちがあいちに転じた。続日本紀の和銅2(709)年の条に愛知郡として初出。あゆちの由来は、東風(あゆの風)が吹く所という説、アユは湧き出るの意があることから湧水に富む所という説などあり。 庁舎所在郡
三重県 1872.04.24 古事記にヤマトタケルが三重郡で「わが足は三重の勾の如くして甚疲れたり」という言葉を残したことからこの地に名付けられた、という伝承から。 庁舎所在郡
滋賀県 1872.02.27 シ(石)カ(接尾語)で石の多い所、シカ(石処)の意で石や岩の多い所などの説がある。日本書紀に志賀として初出。旧大津県が、幕府代官所のあった大津の名を使うことは旧習を捨て開花に進む障害になると、改称の要望書を大蔵省に提出し認められた。 庁舎所在郡
京都府 1868.06.19
(1868.03.26)
京都はもともと普通名詞として「みやこ」としての意味がある。それが平安末期から鎌倉初期にかけて京都が固有名詞として定着していった。公的に使われだしたのは北条時政が任についた京都守護の役職から。1868年3月26日に京都市中取締役所が京都裁判所へ、その後6月19日に京都府へと変遷。 庁舎所在地
大阪府 1868.06.21
(1868.02.15)
小坂と呼ばれていた地を蓮如上人が本願寺を建立した際に大坂に変えたという説がある。明応7(1498)年11月21日の蓮如の消息に登場するのが初出。1868年2月15日に大坂鎮台を設置し2月20日に大坂裁判所に改称。6月21日大阪府を設置。 庁舎所在地
兵庫県 1868.07.12
(1868.02.15)
645年、神戸市兵庫区のあたりに兵器庫である兵庫(つわものぐら)が置かれたのが由来。1868年2月15日に大坂鎮台を設置し2月24日に兵庫裁判所に改称。7月12日に兵庫県を設置。 庁舎所在地
奈良県 1887.11.04 草木を踏みならし、平らにする(ならす)という意味からきたという説がある。日本書紀に「那羅山」という記述がある。 庁舎所在地
和歌山県 1872.01.02 万代記の天正13(1585)年の記事に若山、同年の豊臣秀吉の書状に和哥山とあるのが古い記述の一つ。 庁舎所在地
鳥取県 1871.08.29 鳥取市久松山付近に沼が湖が多いため、水鳥を取り、朝廷に献上する役目を与えられた鳥取部(とりとりべ)の人々が住んでいたことから。 庁舎所在地
島根県 1871.12.26 出雲国風土記に「国引き神話」に登場する八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)が名付けた地名とされる。 庁舎所在郡
岡山県 1871.08.29 岡山城が築かれた丘の名前が岡山であった。南北朝時代あたりから文献上に登場。 庁舎所在地
広島県 1871.08.29 1589年毛利輝元が築城した際に広島城と命名。毛利氏の祖先とされる大江「広」元と城地の選定をした在地の土豪の福「島」元長を組み合わせた説や、築城場所が三角州の中の広い島であったからという説などがある。 庁舎所在地
山口県 1871.08.29 山口市の辺りが長門国へ行く山道の入口で、東鳳翩山の鉱山の入口でもあったためという説や、山口氏という豪族が古城山に城を構えていたためという説などがある。1254年に円政寺の銘文に刻まれているのが早い時期のものとしてあげられる。 庁舎所在地
徳島県 1880.03.02 1585年に蜂須賀氏が城を築いた地を徳島と呼んだことが由来(現徳島町・徳島本町・中徳島町)。島状の地形と縁起の良い文字を併せた吉祥地名。 庁舎所在地
香川県 1888.12.05 香川の奥山にあった樺川(高松市塩江町安原上東に同地名がある)に樺の木があり、流れる川の水に香りを移して流れたことが由来とされる。 庁舎所在郡
愛媛県 1873.02.20 8藩をまとめたため特定の都市名を採用せず、古事記の「伊予国は愛比売(えひめ)と謂ひ」から採用。文字は半井梧庵の地誌「愛媛面影」から。 神名
高知県 1871.08.29 山内一豊が河川に挟まれた大高坂山に城を築いた際に河中山(こうちやま)と名付けたのがはじめとされる。1610年に2代藩主山内忠義が高智と改名。 庁舎所在地
福岡県 1871.08.29 関ヶ原の戦い後、筑前福岡藩主になった黒田長政が福岡城築城の際、出身地である備前福岡(現・岡山県邑久郡長船町福岡)に因んで命名。 庁舎所在地
佐賀県 1883.05.09 肥前国風土記に「ヤマトタケルが「栄の国」と呼んだ地が栄の郡となり、佐嘉郡と呼ぶようになった」とある。1869年に佐嘉を佐賀に統一。他に河口の三角州の地にサガとつけることが多いため地形に由来するという説もある。 庁舎所在郡・地
長崎県 1869.07.28
(1868.02.23)
13世紀中期の資料では永埼とある。長い岬があった、鎌倉時代に長崎氏が支配した、などから文字が変わったという説がある。1868年2月23日に長崎奉行が長崎裁判所に、6月23日に長崎府に、翌7月28日に長崎県へと変わっていった。 庁舎所在地
熊本県 1876.02.22 古くは隈本と書かれ最も古いもので1352年の文書に登場する。加藤清正が熊本城を築いた1607年に畏(おそれる)の字を嫌って熊本に改めたとされる。クマは川の曲がったところという意味という説、崖の下の湿地を指す説などがある。 庁舎所在地
大分県 1871.12.25 豊後国風土記に景行天皇が碩田国(おおきた)と名付けたとあるが、多き田が大分に変化したというのが定説。 庁舎所在郡
宮崎県 1883.05.09 神武天皇社(現・宮崎神宮)という宮が昔からあり、崎は辺りや所在地という意味。和名抄(承平年間931-938成立)に宮崎郡の名称が出てくる。 庁舎所在郡
鹿児島県 1871.08.29 鹿の子が多く生息していた、火山を意味するカグ、多くの水夫(かこ)が住んでいたなどの説がある。古くは桜島のことを鹿児島と呼んでいた。地名の初出は続日本紀。 庁舎所在郡・地
沖縄県 1879.04.04 779年の鑑真の伝記に阿児奈波(あこなは)とあるのが初出であり、長門本平家物語で「おきなは」の読みが登場。沖魚場(おきなわ)、沖の島という意味という説がある。新井白石の南島志にて沖縄の文字が登場。 島名

嚮明而治
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